第466号 「否定」と「肯定」
こんばんは。パピーいしがみです。
今まで、皆さんにはいろいろなお話をしてきましたね。
「できなくてもいい、できればもっといい!」とか「全ては必要にして善である」とか「良いところを探す力をつけましょう」などなど・・・。
そうやって皆さんにお話してきて、そしてそれでも「うまく行かない」というご相談にお答えしてきて、
「あ、ここが理解できると、善循環に向かうのが飛躍的に早まるな」と感じた部分があったんです。
それが、この「否定」と「肯定」だったんですね。
そうやって聞くと、皆さん“「否定をするな」「肯定しなさい」という事でしょ。”と思われるかもしれませんが、ちょっと違うんです。
「否定をするな」って、「否定」しているんですね。「否定」する事を「しちゃいけない」って言ってるんです。
そうじゃなくて、「否定」も「否定」として『肯定』しちゃうんです。
分かりにくいですよね。(^^)
ですから、この解説は次回に回すとして、まずは、分かりやすい事例からお話させて頂きます。
ちょうど、とてもいいご報告を頂いたんです。
ココから・・・
パピーさん、こんにちは。りこママです。
暑い日が続くようになりましたが、お変わりありませんか?
私たち家族は、ここ最近は、以前から比べれば、とても穏やかな日々がすごせています。
私が少し疲れていてイライラしたり、逆に子供が疲れていてイライラしたのが伝染してしまったりで、「あー、だめだな」と思う日が少し続いたりもするのですが、
それでも、まず、子供に手を出すことは、ほとんどなくなり、感情で怒ってしまうことも少なくなり・・・。そんな自分を褒めてみたり、
子供を見つめて、いいところ探しをしてみたりしているうちに、また穏やかな日々が戻ってきたりという感じで、3歩進んで2歩下がり。
でも、確実に1歩は進んでいる気がする・・・といった状況です。
ところで、今日は、初めての問題に直面してしまい、対応がこれでよかったのか分からず、ご相談させていただきたくメールしました。
長くなりそうなのですが、読んでいただけるとうれしいです。
我が家では、飴、チョコレート、ガム、キャラメル、ジャンクフードは、普段のおやつとしては、出していません。
でも、まったく禁止では、また問題が起こりそうなので、友達の家でいただいた時と、幼稚園、子ども会などでもらってきた分は、食べてもいいことにしています。
子供たちには、「そういったおやつは、悪者が入っていて、体を病気にしたり、力を出なくしたりするけど、たくさん集まらないと、何にもできないから、もらったものを食べるぐらいなら大丈夫。
でも、おうちで買って、普段のおやつにまで食べると、おなかの中で悪者がたくさん集まって、悪いことをするし、虫歯にもなるから、おうちで買ってまでは食べないよ」と説明しています。
子供たちは、もらってきたおやつは、とても大事にとっておいて、少しずつ楽しみに食べたりして、一応、納得してくれていると思います。
そこで、おとついと昨日、起こった問題なのですが・・・。
一昨日、おやつの時間の後に、長男の口から、なにやら甘いにおいがしてきました。
「なに食べてるの?」
「飴。」
「どうしたん?」
「Aさん(遊びに来ていた母の友人)にもらった」
「そうなんや。食べたらぐちゅぐちゅしーや。」
「うん」
で、話は終わりました。
ところが、夜にお風呂に入るとき、何やら長男がこそこそしているなー、と思っていたら、お風呂で裸の長男から、また甘いにおい・・・。
「飴どうしたん?」
「Aさんにもらった。」
「いくつもらったん?」
「2つ」
「それ、いつ食べ?って言わはった?」
「・・・おやつの時間」
「今、おやつの時間?」
「・・・違う」
「出しなさい!」
で、出して冷蔵庫に入れておきました。
このとき、長男には、誰かから食べ物をもらったら、必ず私に見せて、それから食べるように言いました。
見せたら取り上げられる(幼稚園に入るまではそうしていました)と思ったから、見せなかったのか?と思い、
「取り上げるつもりで言ってるのではなくて、お礼も言わないといけないし、もしかしてもしかしたら、悪いことを考えてる人がいて、毒の入ってるおやつかもしれないんだよ。
誰から何をもらったか、ちゃんと見せてね。見せてくれたら、食べてもいいから。」と、真剣に話をしました。
そして、昨日、おやつの時間のあと、またまた長男から甘いにおいが・・。
「飴どうしたん?」
「Aさんからもらった。」
「いくつもらったの?」
「3つ」
「昨日2つって言ってたやん」
「間違った。まだあった」
「そうなん?・・食べ終わったら、ぐちゅぐちゅしーや」
なんかおかしいな~、と思いつつ、これが最後の1個なら、まあいいか?と思っていたら、
それからしばらくして、また別の飴のにおい・・・。
もう、これは絶対におかしいと思って、「飴、いくつもらったん?どこに置いてあるの?」
「おばあちゃんとこ」
「見せて」
と、離れにあるおばあちゃんのところへ行ったのですが、おばあちゃんは留守で、長男は「ここにあった」と、もう何もない台の上を指差したのですが、
「さっき母ちゃんこっち来たけど、そこには何もなかったよ。本当のこと言い。」
というと、あちこちキョロキョロしつつ、目が泳いでいるので、
「それは、本当にAさんが○(長男)にくれたん?おばあちゃんにくれたのじゃないの?」と聞くと、
「・・分からん・・」と、だんだんあいまいな答えになってきました。
そして、何度かよく分からない場所を指差すのですが、「本当のことを言い」と私に言われて、やっと、おずおずと指差したのは、私が、実家でしているお店のお客様用に置いてある飴でした。
「Aさんからもらった」というところから嘘だったのだと分かり、ショックでした。
でも、がんばって本当のことを話したので、「今回は、本当のことを言えたから許してあげる。でも、昨日と今日食べた飴は、あなたの体にたまってるんやで。
困るのはかあちゃんではなくて、あなたなんやで。だまって食べても、絶対にバレるんやから、もうせんときや」と話をして終わりにしました。
今振り返ると、これでよかったのか、よくわかりません。
長男は、とても上手に嘘をつくことがあります(いわゆる、バレバレの嘘でなく)。
そして、「だめ」と言われると、隠れて手に入れようとするところもあります。
それは、やはり私の息子で、その気持ちもとてもよく分かるし、子供のころの私にそっくりなのです。
だからこそ、あまりダメダメ言わなくてすむように、逃げ場(外からもらったらOK)を作ったり、
欲しいと言ってきたけど、買ってあげられないおもちゃなどは、一緒に作るようにしてみたり、誕生日まで待たせたり、いろいろ工夫をしているのですが、難しいです。
パピーさんは、どう思われますか?やはり、私のやり方は、厳しいですか?
(それから、飴の場所を聞くときの、「本当のことを言い」というのも、子供を信用していない言い方?のような気がして、もう少しうまい言い方はなかったのかなと考えています)
今回のことで、子供がどう感じたのかも、まだ分かりません。
でも、これがお金の問題や、そのほかの問題に発展する可能性もないとは言えないと思うのです。
ココまで・・・
ココまでが、まず、1日目に頂いたメールでした。
私もすぐにお返事できなかったのですが、翌日に、また、新たにメールを頂きました。
ココから・・・
昨日、飴の出所を知り、話しをし、この件は終わったものと思っていました。
ところが、今日、上の子と遊んでいると、また飴のにおい。
それも、上の子が遊んでいるところに呼ばれていくと、部屋にかすかににおいがしたのです。
長男に「どこから飴持ってきた?」と聞きました。
昨日の飴は、袋ごと捨てたし、離れの実家に行った気配もないし、我が家に長男の手の届くところに飴はないはずなのです。
すると「言いたくない。」と。
これは、問い詰めても言わないなと思い、「なあ、飴やおやつは、おやつの時間にみんなで食べよ?食べてもいいけど、一人で隠れて食べるのはやめようよ。まだあるのなら、どこにあるか教えて。」といった内容のことを言いました。
すると、「お座敷。」で、一緒に行って、「どこにあるの?」
すると、また適当な場所を「ここ」と。
「そんなところに飴は置いてないはずやで。ほんまのこと教えて」
「言いたくない」
「その飴は、あなたの飴じゃないやろ?勝手に人のものを取ってきて、内緒で食べる、それは、泥棒がすることと全く同じやで。あなたは泥棒じゃないよね?」というと、
「・・・あそこ」と指差したのは、おもちゃのかばんの中でした。
あけてみると、そこに、5、6個の飴が入っていました。これまた、長男の知恵におどろきました。
離れの実家の袋の中からいくつかを、このかばんの中に隠していたのです。
思いもよらなかった展開に、どう話をしようかと迷ったのですが、とりあえず、頭ごなしは、頑な(かたくな)になるだけだろうと思い、まず3つ認めて(?)から、叱ることにしました。
「持ってきてここに入れてたん?うまいこと考えたなー」(長男、硬い表情が少しやわらぐ)
抱っこして、「ここに内緒で隠しておいて、こっそり食べてたんやね。もうこれで、いつでも飴ちゃん食べられると思ったら、うれしかった?」
(こくり)
「そっかー。おいしかった?」
(こくり)
ここで、長男の顔を見て、「でも、やっぱりそれは、あかんことやんな?」
(こくり)
「わかってたよね?」
このあたりで、長男がなみだ目になってきたのですが、怒られたから、というようりも、見つかってほっとしたような涙に思えたので、
「隠して食べておいしかったけど、○くん、悪い子になってしまったって、思わなかった?」
と聞くと、見る見る涙があふれて、「うん」とうなずきました。
「母ちゃん、よく分かるよ。母ちゃんも○くんと同じことしたことあるから。母ちゃんも、小さいころに、おばあちゃんに食べたらあかんって言われたもの、こっそり隠れて食べたことあるから。
うれしいし、おいしいけど、したらあかんって思うのに、やめられへんのが、こわかったよね。
自分が悪い子になってしまったと思ったら、悲しかったよね。でも、大丈夫やで。○くんは、悪い子じゃない。
ちゃんと本当のことを話してくれたし、これはちょっと間違ってしまっただけで、○くんは、いつでもお母ちゃんのかわいいかわいい、いい子やで。
これで飴ちゃん、最後やんね?最後の飴ちゃんの場所、教えてくれてありがとう。
これからは、自分のことを悪い子と思ってしまうようなことはやめようね。」と話をしました。
そして、「この飴ちゃん、どうする?」と聞くと、「今度おでかけするときのおやつにおいておく」というので、おやつの場所に置きに行きました。
今回はこれで終りました。
これで懲りてくれるのか、または、こういうことに慣れてしまい、また次があるのか、はわかりませんが、
「絶対したらあかんで!」と叱っても、「今度はもっとばれない方法を」と考えるだけかなと思い、今回のような話の仕方にしました。
これはきっと、どんどんおやつを与えていれば、起こらない問題だったと思うのですが、
多分「飴ちゃんが食べたいから方法を考えた」のではなく、たまたま飴ちゃんをみつけたけど、食べたいって言ってもあかんやろうし、出来心で・・・てなところだと思います。
それなら、少しでも制限をしていれば、やはり起こった問題だと思うのです。
きっと、目の届く範囲で起こってくれた、親子ともに勉強になる、「必要にして善」な出来事だったとおもうのですが・・・。
パピーさんなら、どう対応されましたか?アドバイスいただけるとうれしいです。
りこママ
ココまで・・・
りこママさん、メルマガ掲載のご許可、ありがとうございました。
関西弁って可愛いですよね♪
ずーずーしいおばちゃんの関西弁は「ご勘弁!」ですが、りこママさんと子供さんのやりとりは、なんかとってもあったかくて可愛い♪です(^^)
さてさて、このやり取りを見て、あなたはどう思われましたか?
まず、こんな文面がありました。
“これはきっと、どんどんおやつを与えていれば、起こらない問題だったと思うのですが、多分「飴ちゃんが食べたいから方法を考えた」のではなく、
たまたま飴ちゃんをみつけたけど、食べたいって言ってもあかんやろうし、出来心で・・・てなところだと思います。
それなら、少しでも制限をしていれば、やはり起こった問題だと思うのです。”
はい、その通りですね。
誰にでも起りうることですし、こういう「誘惑」はどこにでもあります。そして「誘惑に負けてしまう」は、必ず誰もが通る道だと思います。
それが、お菓子で終るのか、金品になるのか、はたまた家庭内で終るのか、知らないお宅にまで及ぶのか・・・。
物だけでなく、弱い子、小さい子を見て、いじめたくなる。これだって「誘惑」ですよね。
ですから必ず、今このメルマガをお読みの皆さんにも関係している、いえ、今は無かったとしても、将来必ず関係してくる、と思うのです。
でも、こういう事が「あった事」が問題ではないんですね。そこでどんな対処をされたか、をご覧いただければ?と思います。
私は、メールを拝見して、とっても感激したんです。
1日目はとりあえず、お話をして、分かったはずだった、ところが、2日目も同じ事が起きた。
普通だったらどうでしょう?
もう、怒り心頭ですよね(^^)
「ちょっと来なさい!」と腕を引っ張って力ずくで正座をさせ、「あんたは、昨日の話、分からなかったの?!」「一体なに考えてるの!!そんな事なら警察呼ぶからね!!」
なんて、ガンガン、バリバリ頭ごなしに怒鳴るかもしれません。
ところが、りこママさん、上手く対応されました。
こんな風に・・・
“とりあえず、頭ごなしは、頑な(かたくな)になるだけだろうと思い、まず3つ認めて(?)から、叱ることにしました。”
・・・注釈・・・
ココで“3つ認めて(?)”というのは、テキストでお話している、「かわいくば、5つ教えて3つ褒め、2つ叱ってよき人とせよ」の、叱るは2つ、褒めるは3つ♪、の「3つ」という意味です(^^)
・・・注釈ココまで・・・
私が感心した事はいくつかあるのですが、特に今回(今日のタイトルから)知って欲しいのはココです。
“「ここに内緒で隠しておいて、こっそり食べてたんやね。もうこれで、いつでも飴ちゃん食べられると思ったらうれしかった?」
(こくり)
「そっかー。おいしかった?」
(こくり)”
本来はやって欲しくないことです。それに、昨日に続いて同じ事を今日も。
だとしたら「金輪際させない!」という気持ちや、思いっきり叱って絶対にやらせないように!と思いますよね。
思いっきり「否定」をぶつけると思うのです。
ですが、本当はあってほしくない事。でも、その「あってほしくなかった事」があった、という事実。その事実を肯定していますよね。
「その時、嬉しかったでしょ」とも言われています。
「嬉しい」とは何事だ!ではなく、「嬉しかったでしょ」と肯定しているんです。
私たちは、否定されると反発します。それが自分達に非があったとしても否定されれば、「コンチクショー」って思うんです。
そして「コンチクショー」って思ったら、いくら正当な説教を長時間されても、頭になんか入りません。
それどころか「もう分かったって言ってるだろ!」「いつまでくどくど言うんだよ。チッ、うるせーな!!」って思いながら、説教が終わる事だけを考えるんです。
聞く耳を持たないのですから、頭になんか入ってこないんですね。ところが、肯定をしてもらうと、反発は起きません。
そして、自分で「あ、やっぱりまずいよな」って思うのです。その後の長男さんの様子です・・・。
“ここで、長男の顔を見て、「でも、やっぱりそれは、あかんことやんな?」
(こくり)
「わかってたよね?」(※注・これも肯定ですよね)
このあたりで、長男がなみだ目になってきたのですが、怒られたから、というようりも、見つかってほっとしたような涙に思えたので、
「隠して食べておいしかったけど、○くん、悪い子になってしまったって、思わなかった?」と聞くと、見る見る涙があふれて「うん」とうなずきました。”
りこママさんの言葉は、とても穏やかなのに、お兄ちゃんは、「いけない事をしちゃった」って感じていますよね。
自分でちゃんと分かった、理解できたんです。
今までの流れをお読みになって、もしかしたら、「たかが飴の事でしょ」って思う方がおられるかもしれません。
ですが、問題は「わずかな金額や小さなもの」という事ではないんです。
子供がこそこそして「良心の呵責を感じている」のなら、自分で気付く為の、知る為の、すばらしいチャンスという事なんです。
そして、りこママさんも心配していましたよね。
“これがお金の問題や、そのほかの問題に発展する可能性もないとは言えない・・・”
そうなんです。そこなんですね。
こういうチャンスを「たかが・・・」と考えていると、簡単にエスカレートするんです。
そして私自身も、お金の問題で苦しんでいます。それは、親が気がつかなかったから、でもあったんです。
(もちろん分からないように上手にやったんですが)
テキストにも書いてありますが、私自身も、家のお金に手をつけて、それが常習化して苦しんでいました。それは万引きにまで発展しました。
常習化ってとても怖くて、ある一定のラインを超してしまうと、自分ではどうしようもなくなってしまうんです。
自分で自分を止められなくなってしまう。これが怖いのです。
(テキストをお持ちの方は、子供が私の轍を踏まないように、子育てで、どのように対処したのか?についても書きましたので、34章「お金について考える」をご覧下さい)
誘惑って、とてもたくさんあります。
今回は、お菓子、でしたが、年齢が上がるに連れて、それが、おもちゃになったり、ゲームになったり、お金になったり、
そして、家庭だけだったものが、友達まで波及したり、またそれより外、例えばお店、知らないお宅、または異性・・・。そこまで来てしまうと、もう「犯罪」です。
ですが、考えてください。
世間的に認められている、政治家だって、弁護士だって、医者だって、教職者だって、エリート官僚、裁判官でさえも、ニュースや新聞沙汰になっていますよね。
それも、毎日、似たような犯罪が一杯起きています。それって、みんな「誘惑」が発端です。
大人でも誘惑に負けてしまう人は一杯いるんです。
その誘惑に勝てるようになるには、「自分で律する力」これを養うしかないんですね。
自分で律する。その力は、きつく叱られたって、怒鳴られたって、恐怖で縛られようが、命令されようが、決して身には付きません。
そこは、自分の中で「これはいけない事なんだ」って、“良心の呵責”を自分自身で認識するしかないんです。
私たちはいけない事だとわかっていながら、それが頻繁に行われるようになると、その「いけない事」という意識が薄れませす。
いけない事の意識が薄れると、常にやりたくなります。それが『常習化』です。
そして常習化してしまうと、今までの“良心の呵責”が“スリル”に感じるんです。本当はいけない事なのに“スリル”「快感」になってしまうんです。
こうなると、そこから戻るにはとても大変なんです。(本人が言うのですから、信憑性がありますよね)
ですから“良心の呵責”を自分自身で認識させる為に、頻繁に起きないようにすること。
できるだけ起きないように環境を整えて、それでも起きたら何度でも“良心の呵責”を感じさせること。
そこで必要なのが「否定」ではなくまずは「肯定」する、という私たちの姿勢なんです。
すみません。あまりに長くなっちゃったので今回は、タイトルの、「否定」と「肯定」 の一例としてのご紹介とさせて頂きますね。
でも、この「否定」と「肯定」はとても多岐に渡ります。
次回はこの発展形、対『人』ではなく、対『自分』です。きっと目からうろこ!ですよ♪
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