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第552号 客観的に考える 

こんばんは。パピーいしがみです。

いつも、年齢の低い方向けのお話しが多いのですが、今日は、いつもと趣向を変えて、小学校2・3年生~のお子さんがいらっしゃる方に、参考になるようなお話しをさせていただこうと思います。

子供達も小学校に上がり、2年生・3年生ぐらいになると、「考えさせる」という事が増えてきますね。

これは算数のように「たった一つの答え」をはじき出す為に頭を使う、のではなく「自分はどう思うのか?」の事なのですが、これらは、教科に入っているわけではありません。

先生によって“必要だ”と思われる方は、比較的早く着手するでしょうし、「授業でやることで十分」と思われる方は、取り立てて重要視されない場合もあるようです。

でも、早めにそれを取り入れようとされる先生は、子供たちと交換日記をされて、個人的なやり取りをしたり、良い事や参考になる事などは、皆の前で発表したり、学級通信を作って親にも報告したり・・・・

そのような、工夫をされる方もいらっしゃいますね♪。(本当に先生方の努力には頭が下がります)

ところがそこで、我が子の文章を見たり、感想を読んだりすると、ちょっとびっくりしてしまう事が有るかもしれません。

「こんな事を考えているの?」とか、他の子と比べて「全然できてないじゃん」などと、焦ってしまう事があったりするかもしれません。

でも、私はそれで落胆してほしくないな~と思うのですね。

というのは、誰だって初めてやる時に上手くできる事はありません。

最初は上手に書けないでしょうし、「どのように書いたら良いかも分からない」と思うのです。

そこで、今回は、私の場合はどうだったか?それと(これは我が子ではないのですが)「自分の気持ちを考える」についてこんな事をしましたよ~♪

というお話しをさせて頂こうと思います。

「どう思うか?どう考えるか?」と言って思いだす事って何でしょう?

私は「感想文」こそ、その最たるものだと思うのです。実は、私は文章を書くのがとてもとても嫌いでした。

特に嫌いなのがこの「感想文」でした。

私達の子供の頃は、夏休みの宿題と言えば感想文。これは、本当に苦痛でした。

なぜか?と言いますと、答えは簡単です。「どうやって書いて良いか分からない」んです。

この「どうやって書いて良いか分からない」は、私が小学校6年生まで続きました。

そこには、私の“思いこみ”があったのです。

というのは、学校でやる授業には、必ず答えがありますよね。算数だって答えを出します。国語だって正しく答える事が必要です。

理科も、社会も、音楽も、図画工作も、そこには、課題に対する回答を求められていますよね。

「感想文」もそうだとずっと思っていました。

今でこそ「感想文」の字を読むと、“自分が感じ、想う事を文章にする”んだな、と分かります。

でも、小学校1年生、2年生時代の「感想文」は「かんそうぶん」という名前のテストのように感じていたのです。

本当にちゃんと読んだのか先生がチェックする、のように。

だから、本を読んで、そこにどう書かれているか、できるだけ、詳しくわかりやすくまとめる事、これが「かんそうぶん」の宿題だと思っていたのですね。

ところが、宿題を提出しても、先生にこう言われるのです。「これは感想文じゃない!」って。テストだったら×です。

そうすると???なんですね。

書き方からして分からない上に、評価は×。それと一緒に「あんなに頑張って書いたのに・・・」という気持ちも起こります。

「もういいや、感想文なんて書きたくない・・・」「嫌いだ、やりたくない・・・。投げ出したい」

文章を書くのも嫌だし、もちろん感想文を書くのもイヤ。ですから、作文も、感想文も大っきらいでしたし、当然、文章力も全くなし・・・でした。

おまけに、本を読むのも大っきらいになりました(笑)

ただ、当時は夏休みの宿題をやってこないと、居残りで書かされていましたから、それをされると遊ぶ暇が無くなる。

そこで考え付いたのが「あらすじ」を写す事でした。

以前は「あらすじ」があることなども知りませんでしたが、4年生ぐらいでしょうか?本の最後に「あらすじ」を発見しました。

ご丁寧に、作者の気持ちなども書いてありました。私にとっては、問題集に回答がついているようなもの♪です。

その時「なんだ、これを写せばいいだけじゃん」とひらめきました。

もちろん、そのまま写したら、すぐにばれますので、子供らしい書き方にして、原稿用紙に書き直して提出するんです。

先生からは当然「これじゃあ感想文になってない」と言われますが、写したんだから評価は悪くて当然。

でも、宿題はやったんだからそれでいいや、という気持ちでした。

4年、5年・・・とそのやり方でやってきましたが、6年生になった時に、“原稿用紙で隙間なく○ページ分書きなさい”という宿題になりました。

これで頭を抱えました。

本に書かれている「あらすじ」というのは、だいたい見開き2ページ程度。全部、そのまま写したって、指定の枚数には足りません。

どうしようか?と考えて考えて、やったのが、「あらすじの中から、たった一つだけにポイントをしぼり、自分だったら・・・と、自分に置き換えて書く」事でした。

「作者はこう書いているけど、そんなの自分にはできない」「だって・・・ああでもない、こうでもない・・・・」そんな内容だったかと思います。

原稿用紙の枡を埋めるためには、くどくど書くしかなかったのですね。

それまで「感想文」という宿題は、“本を読んで、そこにどう書かれているか、できるだけ、詳しくわかりやすくまとめる事”だと堅く信じ込んでいた私にとっては、

「自分の思いだけを書くような、こんなやり方じゃダメだろう」「絶対にやり直しだ」と思っていました。

「それなら、本をちゃんと読むか・・・でも今さら嫌だし・・。」「まあ、最初から提出しないよりはまし」と、

かなりの葛藤が有った後に取った苦肉の策でしたが、これが驚きの良い評価をされたのです。

もう、6年生ぐらいになると、優秀な子は、どう感想文を書いたら、先生受けするか?を知っています。

「本を読んで感動しました。自分のこれからの人生に役立たせます」「これから主人公を参考に、こうしていこうと思います♪」のような優等生的な感想文が多い中で、私の書いた文章は正反対で目立ったようです。

先生からは「着眼点は偏っているが、考え方が面白い」「自分の場合に置き換えて、細かく比較対象ができている」などのように言われ、

初めて感想文という宿題で、「感想文じゃない」(×)以外の(お褒めの)言葉をもらったのです。(もちろん、本を読んでいないのですからインチキです)

でも、その時、分かったんです。「感想文」って自分の考えを書けばいいんだ・・・。

“自分の考え”だから、決まった回答なんてないんだ。“自分の考え”だからどう書こうがそれでいいんだ・・・・!!“自分の考え”こそが、正解なんだ!って。

驚きました。

今まで「できるだけ、詳しくわかりやすくまとめる事」が、この宿題に求められている、と思っていた私にとって、これは、目からうろこ、晴天の霹靂でした。

「だったらもっと早く教えてくれよ。そうすれば、宿題はもっと楽だっただろうし、本がこれほど嫌いにならなかっただろうに・・・」

と今までの数年間をとても残念にも感じたのですが、私のこの勘違いを“大人になってもお持ちになっている”そういう方が『決して少なくない』という事を知りました。

それは、私が今の仕事をする為に、会社を退職する数年前の事です。

当時の社長が「この本を読んで、今のわが社にどのように応用できるのか」「それについてまとめてレポートを出せ」と社員全員に命が下った時です。

その本というのは「トヨタ生産方式」だったのですが、ほとんどの方が「レポート」ではなく、本を読んだ「あらすじ」だったのでした。

私は社長の席の隣だったので、社長がそれらを読んでため息をついているところを見ていましたが、束になったレポートをどさっと私の机の上に置き、

「こいつら全員集めて、レポートの書き方を教えてやれ」「○月○日までに再提出させろ!」と言われました。

一人一人の文章を読むと、やはり「あらすじ」だったのです。

その時に、この方々も私と同じ「勘違い」をして、今まで来てしまっていたのかもしれないな?小学校6年生で気付けた自分はもしかしたら、ラッキーだったのかもしれない・・・と思ったのです。

それまでも「自分の考え」はすごく大事だ、と思っていた私ですが、この一件があってから、その気持ちはさらに強くなったのは、言うまでもありません。

すみません、話しが長くなっちゃって、“(これは我が子ではないのですが)自分の気持ちを考える、についてこんな事をしましたよ~♪”のお話しするまでには至らなかったので、それについては次回、お話しさせていただこうと思いますが、

私が是非、分かってほしいのは、『全てにおいて、誰だって、初めてやる時には上手くできない』し、最初は『どのようにやったら(書いたら)良いかも分からないんだ』という所なんですね。

特に、どう感じるか?感じたか?どう思うか?のように、自分の事を客観的に見たり、自分に置き換える、という作業は本当に難しい事です。

やった経験がない子にとっては、雲をつかむような事でしょう。

もし、2・3年生にそれを求めるとしたら、6年生になっていた私が経験するよりも、ずっと難しい事をしている、という事にもなるんですね。

でも、自分が今、どんな気持ちなのかを、客観的に考えるという事は、今後、様々な場面で必要になります。

自制したり、落ち着こうとしたり、自分を褒めたり、反省したり。「自分の気持ちを第三者的に考える」事ができるようになると、それがとても生きてきます。

実は、これって、子供だけでなく、今、このメルマガを読んでいるお母さん方にも、とても有効な事なんですよ♪

ただ「怒らないようにしよう」「我慢するんだ!」って思うよりも、「私は、どうしてこんなに怒っちゃうんだろう?」「なぜ、我慢できないんだろう?」と客観的に見ることで、ご自分の怒りの治まらない理由が見えてくる事があります。

又、客観的に見る事ができるようになると、“もう一人の自分が、今の自分を褒めてあげる・・・”なんて事もできますよね♪

「これでいいんだよ、頑張っているよ」のように、自分で自分を応援したり、認めてあげたり・・・。それが又、自分を落ち着かせたり、落胆から救ってくれたり。

ですが、やった事のない人にとっては、「そんな事、考えた事もなかった」なんですね。

できる方にとっては、何でもない事でも、初めての方にとっては、とても不安で、分かりにくいんです。

でも、何度もやって練習を重ねると、最初は上手くいかなくても、だんだんに上手になっていきます。

私達も一緒、子供達もいっしょ。初めての事は、最初からはできません。どんなものかもわかりません。

だから教えてあげて(又は勉強して)練習してみる事が必要になってくるんですね。

長くなりました。今回はココまでとさせて下さい。次回、また同じテーマで、今度は「客観的に考える、をどんな風に教えたらいいか」についてお話しさせて頂きますね。

ご興味のある方はこちらをお読みください。

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