第718号 人と比べて叱る
こんばんは。パピーいしがみです。関東地方が早くも梅雨明けして、今日は私の住む静岡も、とっても良い天気でした。
久しぶりの晴天&強い風で、窓を全部開け広げ、じめじめ感がいっぺんで吹き飛びました(^^)今、さわやかな気持ちでメルマガを書いています。
これから暑い夏がやってきますね。白い雲、青い空、そして照りつける太陽!!又、今年も真っ黒になって、元気に海やプールではしゃぎまわる子供達が見れそうです(^^)
さて、今日のメルマガは「比較」についてです。
この頃、ご相談の中に「いけないと分かっていながら比較してしまうんです」「親に友達と比較されて、あれほど嫌だったのに・・・」「やめようやめよう、と思っても、言ってしまった後、『あ、しまった』と思うのです。
娘はため息をついて本当に嫌そうな顔をして・・・」のような声を良く聞きます。
今日はその「比較」についてお話したいと思います。まずは、質問です。あなたは「比較してはいけない」と思われていますか?もしそうでしたら、それはなぜでしょうね?
実は「比較」って、それ自体がいけないのではありません。いけないのは「優秀な子と比較をして我が子の劣っている事を叱る・責める」事なのです。
なぜでしょう?「叱るは否定だから?」はい、それも有りますね。「他の子とその子とは全く違う人格だから」はい、それもその通りです。
私はそれらにプラスして、こう思うのです。比較をして叱っても「そこには建設的な発展が起こり得ない」から。
子供たちは発展途上です。できない事も沢山あります。それができるようになる為には「教える」「育てる」が必要です。もし「叱る」事で「教える」「育てる」ができるのであれば、(お勧めはしませんが)「叱る」も有りだと思います。
でも比較して「叱った」時には、そこに「やる気」や「向上心」は絶対に生まれないのです。
もし、あなたがお姑さんに、「隣のお嫁さんはこんな事をしてくれるんだって、それにひきかえあなたは××××・・・」と言われたとしたら、どうでしょう?
「そうか~、私しも隣のお嫁さんみたいに頑張らなきゃ(^^)」って思うでしょうか?もし気の短い私だったら「チッ」と舌打ちして、「勝手に言ってろ、ババア!」「お前の世話なんか誰がするか!」なんて思う(言っちゃう?)かもしれません(笑)
お姑さんにとっては、人と比べて叱ったが為に、返って、へそを曲げられてしまった、さらに関係が悪化した、という結果になります。
まあ、そこまではないとしても、皆さん、決して良い思いはしないでしょう。嫌な気持ちが残りますよね?
そう「人と比べて叱られた時」には「やる気」や「向上心」って絶対に起きないんですね。私たちでさえ、そんな風に感じるのですから、それこそ、発展途上である子供達には、絶対にやってほしくないのです。
じゃあ、どうして私たちは「やめた方が良い」と分かっている「人と比べて叱る」をしてしまうのでしょうか?
実はそれはとても簡単な理由があるんです。それは「比べる」ことで“簡単に違いが分かる”からです。
例えば、色。きっとみなさん、洋服のコーディネートなど、興味がおありだと思いますが、同じ赤でも、比べてみると、違いが良くわかりますよね。
別々に見れば同じ“赤”に見えたとしても、右と左とで重ねて見てみると、同じ事は殆ど有りません。
又、大きさはどうでしょう?テレビで見るタレントさんがあまり大きく見えなくても、別の番組で背の高いモデルさんと並んだ時などに、その身長差があまり無い事に、「あのタレントさん、あんなに大きかったんだね」と気付く、という事は良くあると思います。
そんな風に「比べる」ことで“すぐに違いが分かる”“より真実を把握しやすくなる”のです。だから、私たちは「比べたくなる」のです。
それがとても簡単で、細かな違いまで分かるので、比べることで(正しさの)確認ができるのですね。でも実は、ここにポイントがあるのです。
「比べることで違いがわかりやすい」「正しい違いを確認したいからこそ比べる」と言う事は、それって・・・『自分の持っている基準』に“自信が無かった”り、“あいまい”である、とも言えるのです。
例えば、皆さん、スーパーマーケットに行って、キャベツを買う時に、しっかり吟味されると思います。キャベツは身が締まっていて重い物が良いですよね。
いくつかのキャベツを手にとって、どちらの方が身が締まっているかな?重いかな?って
比べられると思います。でも、どんなに身が締まっていて重くても、
葉が黄色かったり、芯が茶色くなっていたり、あきらかに『古い!』と感じるものは買いませんよね。重さ、や大きさ、以外に『鮮度』も大きな基準のはずです。
陳列されている沢山のキャベツを見た中で、1つも新しい物が無い、と分かったら、どうします?そこでは商品を買わずに、別のお店に行きませんか?
それはなぜでしょうそうです。それは、キャベツの良し悪しを見分ける、“しっかりした「基準」”を持っているからなんです。
そこに“しっかりした「基準」”があるからこそ、ただ比較をするのではなく「この店はダメだ。ここでは買うキャベツが無い」「少々めんどうけど、別の店に行こう」という的確な判断ができるのですね。
今ある中でどのキャベツを買うか?のはずだったのに、「これでは購入できない」という、
選択肢になかった判断までができるのです。
もしかしたら今、ピンときた方がおられたかも知れません。先ほど「比較」することで、細かな違いまで分かる。正しさの確認ができる。と言いましたよね。
でも、その細かな違いや、正しさって、「そこに有る中で」という限定なんです。確かに細かな違いや正しさは分かるけど、レベルの低い中で比べたって五十歩百歩であり、ドングリの背くらべ、って事なんですね。
それに比べて自分なりの基準をしっかり持っていれば、比べること自体が無意味であり、判断を迷う事が無い、最適・最善な判断ができる、という事なんです。
そう、子供を比較して叱ってしまう、という方には、『自分なりのしっかりした基準』を持って頂きたいんですね。と言うと・・・自信がなくなってしまいましたか?(^^)
もしそうでしたら、少し、変ですよね?(^^)キャベツを選ぶ「基準」はしっかり持っているのに、子供を見る基準は自信が無い・・・って。
そんな方にお願いしたい、基準を持つ、とても良い方法があるのです。それは「しっかり見る事」「何度も見る事」なんです。
キャベツだってしっかり何度も見たからこそ、自分なりの基準を持てたのです。“見る目”を養えたのです。
それと同じように、子供に対してもしっかり、何度も見るようにしてほしいのです。
例えば、以前、苦手だったけど、今、できるようになったこと。大好きで、得意で、それをやっていると、とても楽しそうな事。
少し、ゆっくりだけど、今、この辺りだな・・・ということ。何に対して興味を持っているのかな?どんな事が克服できているのかな?などなど。
子供達の小さい頃から知っているお母さんですから、今、どの状態にあるのか、どんな事ができるようになったのか?それはどのくらいか、など、細かいところまで見て下さることで、子供の「今」が見えて来るはずなのです。
そうやって、ご自分が客観的に見た、そのものが、今のお子さんの状態だと思って頂ければ、あえて比較をして「目に見える違いだけ」で、その子を判断する必要なんてなくなるんですね。
「比較をしてしまう」事が癖になってしまっている方は、是非、そうやってお子さんを
「じっくり・何度も見て」くださいね。そして自分の“見る目”を養ってください。
「それでも比較をしてしまうんです・・・」という場合は、どうぞ比較をしてください。比較も2つのケースに限っては悪いことではありません。
1つは、数年前・数カ月前のお子さんと、今のお子さんとの比較。
もう1つは、同じ年齢の時のご自分と、今のお子さんとの比較です。
数年前、数ヶ月前のお子さんと今のお子さんを比較してみると、できなくなった事よりも、
できるようになった事の方が多いはずです。
又、同じ年齢の時のご自分と比べて頂くと、子供の方が明らかに劣っている、と感じる事も少ないのではないかな?と思うのですがいかがでしょうか?
ちなみに、私は、本当にちゃらんぽらんで、どうしようもない子供でしたし、それを自分自身でも十分に知っていましたから、過去の私と、子供たちを比べる叱るなんて・・・穴に入りたいほど恥ずかしく、できませんでした。
あなたはどうでしょう?もしかしたら、ご自分と比べることで、「あまり比べて叱る事はできないな・・・」と思って下さったら、嬉しいです(^^)どうぞ、ご参考になさってくださいね♪
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