第854号 必要にして善である
こんばんは。パピーいしがみです。
今日のタイトル「必要にして善である」は、このメルマガを長い期間お読みの方にはなじみがあると思いますが、初めてお聞きになる方も多いと思います。
私たちって、その時々によって、それが「良い事だった」とか「悪い事だった」と考えますよね。
たぶん、多くの方が良いことはたくさん起きてほしい、悪いことができるだけ起きてほしくない、とお考えだと思います。(だから、神社のおみくじでも、その結果に一喜一憂します)
ですが、良いことも悪いことも、それは、私たちが、私たちの都合で「良い」か「悪い」を判断しています。
都合の良いことは「良いこと」都合の悪いことは「悪いこと」と思うのです。又、その時々だけを見ると、確かに「悪いことが起きた」と思うかもしれませんが、
実はそこには何らかの学びがあって、時間が経過することによって、「ああ、あの時はすごく凹んだけど、あのおかげで今があるんだな~」と、
過去は「悪いこと」と感じたできごとでも、今は「良かった」と思い直せるって、実は少なくないと思うのです。
かつての私は、いつも人をうらやみ、「なんで自分には、嫌なこと、悪いことばかり起きるんだろう?と思っていました。
でもその中でもいくつか「あのときのおかげで今があるんだな」「あの時、乗り越えた事が今の喜びになったんだな」という経験をしてきました。
そう。私が今あなたに書いているメルマガも、講座も、私が父親に受けた子育てが嫌で嫌で・・・「自分の子どもには、絶対に父親のような子育てはしないぞ!」と誓ったところから始まっています。
子どものころ、ものすごく嫌だったことがあったおかげで、今があるんですね。
過去に悪いことがあっても、そこを乗り越えてくると、同じような悪いことがあっても、二度目は簡単に乗り越えられるし、嫌なことは二度と繰り返さないように反省し、心がけることで嫌なこと、悪いことが起きる頻度がぐっと減ります。
そんな繰り返しをしていることで私は・・・「あれ、これって、結局、自分にとって良いことばっかりが起きてるジャン」と考えるようになったのです。
その時に、この気持ちを忘れないようにしよう、と思って、今の座右の銘になっている言葉が、「すべての事象は必要にして善である」なのですね。
簡単に説明しますと、これは、「自分の身の周りに起きる全ての事は、全部自分にとって必要だから起きているのであり、それは、自分にとって全部意味があり将来的には善(いいこと)なんだよ」という意味です。
今起きている良いことは、もちろん嬉しいし、素直に喜びます。
でも、もし苦しいこと、嫌なことが起きていても、「きっとここには何らかの学びがあって、そこを乗り越えると、必ず後々役に立つんだるろうな~」って考える、ということです。
すると・・・嫌なことがあっても凹む事が少ないし、落ち込んでも比較的早く回復したり、いつも気持ちはポジティブでいられるようになったんですね。
そして、今の私が作られていったのです。
今日、ご紹介するお話は、その「すべての事象は必要にして善である」を、実際に感じました~♪という会員さんからのご報告です。
では早速、ご紹介しますね♪
ここから・・・
パピーさん。こんにちは。実は、前に相談していた長女の事と、最近気づいたことがあって、その報告をしたいと思ってメールをしました。
急ぎではないので、お時間があるときに読んで頂けたら嬉しいです(^-^)お返事もなしで大丈夫です♪
よく、パピーさんが使われる「必要にして善である」という言葉の意味が最近やっと、よく理解できました。
そのきっかけになったのは、なんと「腰痛」でした!大変でしたが、ほんと今気づけて良かったです(^-^)
実は私は、お正月の休み明けに仕事が始まり、何日かして、久しぶりにひどい腰痛になってしまいました。その日は運転時間が長く、お昼に職場に戻った時に痛くなり、
時間がたつにつれひどくなってくるので、「これは、やばい。今日、子供の保育園のお迎えに行けるかな?」と、不安になりました。
その後、どうしても調子が悪いので、家族に連絡して保育園のお迎えをお願いし、私は治療をしてもらって居間で横になっていました。
そこへ、保育園から帰ってきた子供達が寄ってきて「ママ、どうしたの?何してるの?」と不思議そうな顔で寄ってきました。
「ママね、お仕事の途中で腰が痛くなっちゃったんだ。だから、保育園のお迎え行けなくてごめんね。少し横になってるね」と言うと、子供達は、納得した様子で遊び始めました。
さっそく、長女はおやつを食べ始め、私が寝ているのを気にして、私の口にも運んできてくれました。
次女は、「○ちゃんが治してあげるわー。」と言って、こぶしで肩たたきするように私の全身をドンドンしようとするので、お礼を言って、慌てて止めました(^-^)笑でも、すごく嬉しかったです。
まだ小さいけれど、他の人のことを考えて行動できることに感動しました。
それから、私は横になりながら子供達の様子を見ていたら、一緒に遊んでいる途中で二人が喧嘩を始めました。次女が長女の遊んでいたおもちゃを勝手に取って行って、長女がぐずり始めました。
いつも、保育園のお迎えの後、夕飯作りでバタバタしているときに、姉妹の喧嘩やグズグスが始まると、どうしてもイライラっとしてしまうのですが、腰の痛みの方に気がいって、その日は冷静に様子を見ていました。
主人がちょうど子供達に背をむけて用事をしていたのですが、長女がぐずっているのを見て、長女に怒ったので、
「違うよ。今は、○ちゃんが(次女)勝手におもちゃを取ったから、
○ちゃん(長女)が怒ったんだよ」と私が言うと、主人が謝り、長女もホッとした顔をしていました。
「こんな状態だけど、冷静に様子をみれて良かった」と私も思いました。長女はすぐに気持ちを切り替えて、「おばあちゃんのお手伝いしよーっと♪」と、私の代わりに夕御飯を作ってくれているお姑さんの手伝いにいきました。
なかなか思うように動けないし、家族に手伝ってもらって有り難いのと、子供達をみてあげられず申し訳ない気持ちでした。
その日は子供達をお願いして早く寝て、次の日の朝は子供達を保育園に送るのを家族にお願いして、仕事に行きました。
昼頃、だいぶ調子が良くなり、帰りに子供達の保育園のお迎えをし、夕飯を作り、お風呂も子供と入れました。
昨日はできなかったので、それができたことが、飛び上がりたいくらい嬉しかったんです!!でも、私ははっと気づきました。
いつも、仕事や家事や子供達のお世話とバタバタしている時、気持ちの余裕がないと、「時間に追われてイライラしてしまう。」「もっと家族に手伝ってほしい」「これだけこなしている自分を認めてほしい」と思って、嫌な気持ちが出て来るときがあったんです。
でも、腰痛になった次の日、「やっていることはいつもと同じなのに、こんなに自分の感じ方が違うんだ!」と思いました。
当たり前だったことが、当たり前じゃなくなったからです。「このまま腰痛が治ると、きっとこの気持ちを忘れてしまうだろうな。これを覚えておこう」と思いました。
次の日から、寝る前や休み時間に、「今日できたこと」を毎日数えるようになりました。「できたこと」と言っても、大きなことではなく、
「今朝子供とご飯が食べれた」「保育園に送ることができた」「仕事に行けた」という、当たり前のこと。でも、ちょっと体調を崩すとこれができなくなってしまうんですよね。
体調が悪いとできなかったけど、今日はできた小さな幸せを数えることにしました。
私は今まで、子育てと仕事と家事と、たくさんのことを時間に追われてこなして、「いくらやっても、いくらでもやることがある」「こんなに頑張ってるのに、認めてもらえない」と思っていました。
でも、「できたこと」を数えていると、誰かに褒められることだけじゃなくて、今日できたことに喜びや達成感や幸せを感じて、気持ちが穏やかに過ごせるようになってきました。
当たり前と思っていることも、有り難いことが今は毎日続いてくれているから、それが普通になっているけど、「すごく恵まれたことなんだ」と気づかされました。
子供のことで、どんなに悩んだりしていても、今私が生きていて、子供達も生きていてくれて、同じ時間を過ごせることがどんなに幸せなことか、やっと分かりました。
そうしたら、子供達が可愛くて可愛くて(^-^)
特別何か褒められるようなことがなくたって、子供達は子供達でそれぞれ個性があって、いいところがあって可愛いです。
最近は、「今日できたこと」を数えると、「今日、朝ご飯を子供と食べた。そういえば、嬉しそうな顔して食べていたなあ。」とか、
「お姉ちゃん、何も言ってないのに食器を流しに運んでくれたなあ。さすがだなあ」とか、子供達の様子や嬉しかったことも自然と浮かんできます。
そうすると、余計に幸せを感じて、子供達にも優しく接することができるようになってきました。
こう思えたのも、腰痛になったから。大変だったけど、私にとっては「必要にして善」でした(^-^)
それと、主人に「子育てをもっと手伝ってほしい」と思っていたけど、いいところノートに書くことで、色々手伝ってもらっていることにも気づきました。
小さな幸せを見つけるのが、前よりも上手になり、見つけることが楽しみになりました♪私の気持ちが変わると、子供達にも変化が出てきました。
まず始めに変化があったのは、次女でした。もともと家ではよく話す子だったのですが、保育園や他の場所でも、よく話すようになり、声が大きくなったり、挨拶をかえせるようになりました。
それと、自分から「やりたい!」と言って家でお姉ちゃんとカルタをよくしていたのですが、ひらがながまだ分からないので、お姉ちゃんとカルタを取って負け、
負けず嫌いの次女はくやしくて泣く・・・ということがよくあって、私は「まだ小さいし、本人はやる気だけど、もうちょっと大きくなってからでもいいのにな」と思っていたのですが、
次女は何度も取るうちに、カルタの札の言葉を暗記して、絵を覚えて、お姉ちゃんと半々くらいカードを取れるようになりました。ほんとに家族でビックリでした!
そして、最近保育園でカルタをしたそうなのですが、クラスの先生が、「○ちゃん(次女)カルタの大半を取っちゃいました。
一度クラスみんなで取ってから、○ちゃんだけ2回戦をするんです(笑)すごいですね!」と褒められ、次女は自信がついたみたいです。
それと、家で長女とカルタをして、次女が負けてしまい泣いた時、長女が「○ちゃん(次女)、カードが何枚だっていいんだよ。楽しくやれたり、頑張ってやれたら、まるなんだよ」と言ったのをみて、ビックリ!嬉しく思いました(^-^)
実は前回の相談で、長女がクラスの女の子と自分を比較して落ち込むという話をして、頂いたアドバイスを意識して、結果ばかりじゃなく、姿勢を褒めたり、喜びを表すことを意識してきました。
前に相談したことですが、向こうから謝ってきたことがきっかけで、クラスでリーダー的な存在だったRちゃんと仲良しになりました!
今は、Rちゃんと遊ぶのが楽しくて仕方がない!保育園に行くのが楽しみみたいです(^-^)♪
そして、最近長女が「Rちゃんは、鉄棒の前回りが上手なんだよ。○ちゃん(長女)も練習してできるようになりたいな」と言いました。
前とは違って、Rちゃんとの比較じゃなくて、お友だちから刺激を受けて、ワクワクしている様子が伝わってきて、嬉しく思いました(^-^)
また、親子で一緒に楽しくチャレンジしたいなと思います♪そして、長女も他の人を思いやる行動が増えてきました。
私が忙しそうにしていると、自分から、「お皿一緒に洗おうか?」「洗濯物たたむの手伝おうか?」って聞いてくるので、お願いして一緒にやると、ほんとに一生懸命手伝ってくれるんです。
「ありがとう。ママ、手伝ってもらって、すごい助かったよー」と言うと嬉しそうです。
今朝は朝食後に、長女と次女から、「お皿洗うの手伝う」と言うので、わたしと三人並んでお皿を洗いました。なんでもないことだけど、すごく幸せを感じました(^-^)♪
優しい子に育ってくれていて感謝です。
そして、最近長女から手紙をもらいました。「いつもありがとう。いつもごはんつくってくれてありがとう。これからもずっといっしょにいたい」と書かれていて、私は泣きそうになりました。
「ありがとう。○ちゃん(長女)と○ちゃん(次女)のお母さんになれて幸せだよ」と二人を抱きしめると、嬉しそうでした(^-^)
パピーさん、一つ気づくと、こんなにも変わっていくものなんですね。これからも、子育ての勉強を一歩一歩頑張っていこうと思います♪
これからも色々悩むことが出てくると思いますが、この子達なら大丈夫という気がします。これからも、よろしくお願いします。
ここまで・・・
私たちも、すごく体調が悪いのが直ったり、長いこと入院をして退院をしたときには、「あ~、健康ってすばらしいな、ありがたいな」「これからは、もっと体に気をつけよう、無理はやめよう」と思いますよね。
健康のありがたみを感じ、不摂生をしていた自分を反省します。でも・・・残念ながら、同じ事を繰り返すんですね。
子育ても同じです。子どもに問題が表れると、その原因を見つけ直そうとされます。親が子どもに対しての接し方を注意し、一生懸命に頑張ってくださることで結果が出てきます。
でも、子どもが改善してくると、私たちに油断が生まれ、知らず知らずの内に元に戻ってしまって、又、同じ問題が現れてくる・・・。再発した問題はなかなか解決していかない・・・。
これも非常に良くあることなんですね。でも、たいようさんは、ちょっと違いました。こんな風に書かれていましたね。
“腰が痛くて、子育ても家事もできない。いつも平気でやっている「あたりまえ」ができない・・・。それを感じたとき・・・
「このまま腰痛が治ると、きっとこの気持ちを忘れてしまうだろうな。これを覚えておこう」と思いました。次の日から、寝る前や休み時間に、「今日できたこと」を毎日数えるようになりました。
「できたこと」と言っても、大きなことではなく、「今朝子供とご飯が食べれた」「保育園に送ることができた」「仕事に行けた」という、当たり前のこと。”
そして、その結果・・・
“私は今まで、子育てと仕事と家事と、たくさんのことを時間に追われてこなして、「いくらやっても、いくらでもやることがある」「こんなに頑張ってるのに、認めてもらえない」と思っていました。
でも、「できたこと」を数えていると、誰かに褒められることだけじゃなくて、今日できたことに喜びや達成感や幸せを感じて、気持ちが穏やかに過ごせるようになってきました。”
はい、すごくいい感じ♪ですよね(^^)
私は、子育ての悩みの相談も受けてはおりますが、私が、会員さんたちに望んでいるのは、今ある問題を解決することではないのです。
一人ひとりが『自分で解決できるようになる』ことなんです。
子育ては、子どもが大きくなるにしたがって、新しい問題が表れるでしょう。ですが、親が「あ、こういうことか!」って気づき、自分で、対処できるようになれば、この先、どんな問題が起きても怖くないんですね。
なぜならそれは、経験によって自信が生まれるからです。
気づき、考え、行動して、成功体験をすることで、「あ、私っていいかも?」「この子達なら大丈夫だと思う」何かが起きても「なんとかなるんじゃない?」って思えるようになるのす。
強く大きな自信じゃなくていいのです。「なんとかなるんじゃないのかな?」「いいんじゃない?」「できそうな気がする・・・」そんな小さな自信でいいんですね。それが、積み重なって「うん!大丈夫♪」になるからです。
実績だからこそ、自分の経験だからこそ、自信につながっていくんです♪たいようさんの言葉の最後にこうありました(^^)
“これからも色々悩むことが出てくると思いますが、この子達なら大丈夫という気がします。”
はい、いいですね~♪「大丈夫という気がする」それで良いんです(^^)私も、たいようさんなら、大丈夫♪だと私も思いますよ。是非、これからも沢山の「気づき」や「経験」を、積み重ねて行ってくださいね♪
ご報告、そしてメルマガへの紹介のご許可、ありがとうございました(^^)
ご興味のある方はこちらをお読みください。
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135 | ■ 必要にして善である 1 | ★★★★★ |
136 | ■ 必要にして善である 2 | ★★★★★ |
137 | ■ 必要にして善である 3 | ★★★★★ |
138 | ■ 必要にして善である 4 | ★★★★★ |
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