第952号 大晦日にちょっといい話
こんばんは。パピーいしがみです。
2017年もあと数時間で終了です。今年1年、このメルマガをお読みくださいまして、ありがとうございました。
そして、今年、最終日のメルマガに何をお話ししようか?と考えていたのですが、ずっと機会を伺っていた、「さんまさん」のお話しにしたいと思います。
明石家さんまさん・・・。きっと日本では、知らない人がいないほど有名な方です。さんまさんを見ない日はないぐらいテレビに出ておられますよね。
たけしさん、タモリさん、と並んで、お笑いBIG3と言われているさんまさんですが、さんまさんの座右の銘も有名ですよね。そう。「生きてるだけで丸儲け」です。
さんまさんももう還暦を過ぎているので、いろんなことを経験された結果、「生きてるだけで丸儲け」という言葉に行きついたと思うのですが、
何か生死に関わる事ってあったのかな?と思って、なんとなく調べてみましたら・・・
そこには私が考えていたよりも、ずっとずっと辛い時期を乗り越えたさんまさんの姿がありました。
それも一つや二つではありません。それがあっての今のさんまさん。
何をするにも一生懸命で、常に笑顔を絶やさず、誰をも笑わせてしまう、さんまさんが過去に乗り越えてきた事柄を知って、改めてその姿に感動し、私自身、学ばせて頂いたので、
今日は、そんなさんまさんの半生を、お伝えさせて頂こうと思っています。
さんまさんは和歌山県で杉本家の次男として生まれました。ご本名を“杉本高文(たかふみ)”さんと言われます。
が、高文さんが3歳の時、お母さんが病気で、お亡くなりになったそうです。3歳と言えば、子供にとって甘えたい盛りの時期ですよね。
病気で亡くなった・・・とすると、きっともっと前々からお母さんの体調は悪く、お母さんに甘える機会って、すごく少なかったと思うのです。
わずか3歳で最愛のお母さんが亡くなった・・・それは大きな「生死にかかわる事」ですよね。でも、それだけではありません。
高文さんが小学生の時、お父さんが再婚されます。新しいお母さんは、一人の男の子を連れてきました。
高文さんより年下だったので、高文さんにとっては、新しいお母さんと一緒に「新しい弟もできた!」と喜びいっぱいだったそうです。
高文さんは嬉しくて、新しい家族と仲良くなりたい一心で、新しいお母さんや弟を笑わせようと、一生懸命に明るく楽しく振舞ったのですが、
新しいお母さんは、高文さんを受け入れてくれず、高文さんがどんなに話しかけても、あたかもそこに高文さんがいないかのように、無視をされ続けたのです。
ある時、高文さんと、高文さんのお兄さんが、布団に入って眠ろうとしていた時、隣の部屋から、お母さんの声が漏れて聞こえてきました。
お母さんは、お酒を飲んでいたようですが、その言葉は「うちの子は、あの子(自分の子供)だけや」で、それを聞いた、高文さんとお兄さんは、二人で涙を流したそうです。
これも、もし自分だったら・・・と考えただけでも胸が痛くなります。
ですが、新しい弟さんとは、とても仲良くなり、弟さんも高文さんを慕ってくれて「溺愛」とも言えるほど弟をかわいがったそうです。
さんまさんがサッカーが上手なのは有名ですが、弟さんもサッカーが上手で、サッカー部のキャプテンをやり、インターハイ、国体選手にも選ばれました。
そして高文さんに「一緒にワールドカップを見に行こう」「キップは僕が買っておくから」と約束をしていた、その矢先・・・
弟さんが19歳の時に、火事が原因で亡くなります。
(その時は、すでに明石家さんまとして芸能界で活躍しています)大好きな弟さんの死で、一時は、番組でも笑いが取れず、お笑い芸人をやめようとまで考えたそうです。
いえ、生死に関わるできごとはまだあります。(以後“さんまさん”と表記します)
坂本九さんが、亡くなった「日本航空機墜落事故」は、ご存じでしょうか?1985年8月12日の事です。
日本最大の航空事故と言われ、520名もの犠牲者を出した大変大きな事故でしたが、実は、その飛行機にさんまさんも乗る予定でいました。
ですが、たまたまテレビの収録が早く終わったために、その飛行機をキャンセルして、ひとつ前の飛行機に乗り、偶然、難を逃れる事になりました。
3歳でのお母さんとの別れ、仲が良かった最愛の弟の別れ、そしてご自身も偶然、死から免れたこと。
これだけ「死」に向かい合ってきたさんまさん。「生きてるだけで丸儲け」と言われる言葉にも重みを感じます。
そして、そんな辛さを乗り越えて、さらにこう言われています。
“俺は幸せな人を感動させたいんやなくて、泣いてる人を笑わせて幸せにしたいんや。これが俺の笑いの哲学や”
すごいな~、尊敬します。そして、もう一つ、私が尊敬することがありますので、そのご紹介もさせて頂きますね。
さんまさんが、大竹しのぶさんとご結婚されていたのは、ご存じだと思いますが、大竹しのぶさんと結婚するとき、大竹さんには、すでに男の子がいました。名前を二千翔(にちか)さんと言います。
その後、今、芸能界でも活躍されているイマルさんが生まれ、さんまさんは2人の親になったのですが、
家に帰ってくると必ず、先に二千翔さんに声を掛け、二千翔さんとスキンシップを取り、二千翔さんとイマルさん。分け隔てなく愛情を注いだ、と言われています。
それは、きっとご自分が、新しいお母さんに相手にしてもらえなかった、その辛さを痛いほど感じていたからだと思います。
そして二千翔さんにとって「“お父さん”とは言いにくいだろう」との配慮から、二千翔さんには“お父さん”ではなく“ボス”と呼ばせたそうです。
「ニチカもイマルも、俺の子や!」
笑いながら2人の子供の頭を撫でておられた、そんなさんまさんの姿が目に浮かびます。
自分がされて嫌だったことをしない。自分がしてほしかったことをしてあげる。その姿はすばらしいと思います。
残念ながらお二人は離婚をされてしまいましたが、お二人が別れる際にも、二千翔さんは、「さんまさんの方に行く」と言い張ったそうです。
そのぐらい、さんまさんは、二千翔さんを大事にされたんでしょうね。
あ、そうそう。イマルさんの名前の由来は、「(イ)キテルダケデ(マル)モウケ」で、「いまる=1、にちか=2、さんま=3、しのぶ=4」“4人で一つ”という意味もあったのだそうです。これも、ちょっと感動してしまうストーリーですよね♪
最後に、さんまさんの明言を一つ紹介して、今日のメルマガを終わりにしたいと思います。
“笑顔”という貯金をしておくと、“優しさ”という利子がつく。人間生まれてきた時は裸。 死ぬ時にパンツ一つはいてたら勝ちやないか。
“笑顔”という貯金。是非、あなたもしてほしいな~♪
以上で今日のメルマガは終わりです(^^)今年も一年。ありがとうございました。
来年もあなたにとって良い年でありますように(^^)
※ ご興味がありましたら、ご覧ください。
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